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ノーベル文学賞作家・アレクシエーヴィチ氏を迎えて

2016.12.2追記

2016年11月28日(月)、2015年ノーベル文学賞受賞者・スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィチ氏(以下「アレクシエーヴィチ氏」)をお招きし、本学名誉博士号を授与しました。

アレクシエーヴィチ氏は、2015年度ノーベル文学賞を受賞したベラルーシのロシア語作家です。市井の人々の心に寄り添いながら丹念に多くのインタビューを重ね、それを『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『アフガン帰還兵の証言』『チェルノブイリの祈り』『セカンドハンドの時代』の五部作にまとめました。

第二次世界大戦における女性や子供の経験、アフガニスタン紛争の残した爪跡、チェルノブイリ原子力発電所事故の悲劇、ソ連崩壊が引き起こした深刻な社会問題などに正面から向き合い、多声的な作品で「小さき人々」の苦悩を描きました。人類の過去と未来を問い続けるその業績と勇気を称え、本学は、アレクシエーヴィチ氏に名誉博士号を授与することとしました。本学での名誉博士号授与は、ドナルド・キーン氏(1999年に授与)に続く2人目となります。

本記念イベントでは、名誉博士号授与を記念して、授与式に続き、記念スピーチ、そして学生との対話を行いました。会場は、事前申込で登録された学生および一般参加者等で満席となり、別室に設けた中継会場も立ち見が出るほどの来場がありました。


2016.10.25公開

caa02東京外国語大学は、このたび、昨年2015年ノーベル文学賞受賞者・スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィチ氏(以下「アレクシエーヴィチ氏」)に「名誉博士号」を授与することになりました

これを記念して、11月28日(月)に名誉博士号授与式・記念スピーチ等を実施します

アレクシエーヴィチ氏(1948年生まれ)は、2015年度ノーベル文学賞を受賞したベラルーシのロシア語作家です。市井の人々の心に寄り添いながら丹念に多くのインタビューを重ね、それを『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『アフガン帰還兵の証言』『チェルノブイリの祈り』『セカンドハンドの時代』の五部作にまとめました(全て邦訳あり)。

第二次世界大戦における女性や子供の経験、アフガニスタン紛争の残した爪跡、チェルノブイリ原子力発電所事故の悲劇、ソ連崩壊が引き起こした深刻な社会問題などに正面から向き合い、多声的な作品で「小さき人々」の苦悩を描き、人類の過去と未来を問い続けるその業績と勇気を称え、本学は、アレクシエーヴィチ氏に名誉博士号を授与することとしました。本学での名誉博士号授与は、ドナルド・キーン氏(1999年に授与)に続く2人目となります。

本記念イベントでは、名誉博士号授与を記念して、授与式に続き、記念スピーチを行うとともに学生との対話をしてくださることになりました。学生の皆さんは、このまたとない機会を逃すことなく、奮って積極的に「対話」に参加してください。本学の学生以外の方も授与式を含むすべての催しにご参加いただます。

2015年ノーベル文学賞作家・アレクシエーヴィチ氏を迎えて

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会場:東京外国語大学 アゴラ・グローバル プロメテウス・ホール
式次第:
名誉博士号授与式(30分程度)
記念スピーチ(30分程度)
学生との対話(司会:沼野恭子教授)(1時間程度)
その他:
・すべて一般公開(入場無料)
事前申込制(先着で学生200名・一般200名予定)
 ※満席のため申込受付は終了しました。
本会場は受け付けを終了しましたが、中継会場でご覧いただくことが可能です。

・中継会場:東京外国語大学 研究講義棟101教室(予定)

・使用言語:ロシア語等通訳あり
・マスコミ関係の方は別途、下記お問い合わせ先まで事前に取材申込みをしてください(11月15日まで希望)。
 プレスリリース記事(PDF)取材申込書書式(Word)
お問合せ先:
東京外国語大学 総務企画課 広報係
TEL: 042-330-5151
Email:soumu-koho[at]tufs.ac.jp([at]を@に変えて送信ください)

アレクシエーヴィチ氏の業績

写真 Alexievich_favorite.pngСветлана Александровна Алексиевич
(スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィチ、Svetlana Alexandrovna Alexievich)

履歴

1948年5月31日旧ソ連ウクライナ共和国スタニスラフ生まれ(現在68歳)。
父はベラルーシ人、母はウクライナ人。父が除隊するとベラルーシに移る。両親とも教師。
1972年ベラルーシ国立大学ジャーナリズム学科を卒業、地方紙で働く。
2000年よりイタリア、フランス、ドイツ等に住むが、2013年にふたたびベラルーシに戻る。現在ミンスク在住。
執筆言語はロシア語。
最初に予定していた本『私は村を出た』は出版されなかった。
『戦争は女の顔をしてない』は1984年に文芸誌『十月』に掲載され、1985年に単行本で出版された。以後、ドキュメンタリー作家として高く評価される。

五部作

『セカンドハンドの時代』(2013)をもって、これまで書いてきた作品をまとめ「ユートピアの声」という五部作になったと捉えている。

  • 『戦争は女の顔をしていない』三浦みどり訳、群像社→岩波現代文庫(«У войны не женское лицо» 1985):女性兵士たちの従軍証言。歴史の片隅においやられ忘れられていた「女性兵」というマイノリティに光を当て、ジェンダーの視点を持ち込むことにより戦争の特異な一面を浮き彫りにした。
  • 『ボタン穴から見た戦争』三浦みどり訳、群像社→岩波現代文庫(«Последние свидетели» 1985):戦時中に子供だった人たちの証言集。女性に次いで子供という、戦争におけるマージナルな者たちを中心に据えているのがいかにもアレクシエーヴィチらしい。
  • 『アフガン帰還兵の証言』三浦みどり訳、日本経済新聞社(«Цинковые мальчики» 1989):ソ連が軍事介入したアフガン戦争がテーマ。原題「亜鉛の少年たち」は、戦場に送られ、あっけなく殺された少年兵たちの遺体があまりに無残なので亜鉛製の棺に封印されるというところからきている。第二次大戦と決定的に異なるのは、アフガン戦争は何の大義もない戦争で、兵士たちの死はまったく無駄だったということに人々が気づいたこと。
  • 『チェルノブイリの祈り』松本妙子訳、岩波書店(«Чернобыльская молитва» 1997):チェルノブイリ原発事故の消火活動をして亡くなった消防士の遺族や被災者、汚染地域に住み続ける人たち等、原発事故に何らかの形で関わった人々の証言集。
  • 『セカンドハンドの時代 ―― 「赤い国」を生きた人びと ――』(松本妙子訳、岩波書店、2016年9月29日発売。«Время секонд хэнд» 2013):これは、『死に魅せられた人びと』松本妙子訳、群像社(«Зачарованные смертью» 1993)を半分以上取りこんだうえ加筆した作品。ソ連崩壊後の新しい価値観の社会に適応できずに多くの人が絶望し、自殺者も多く出た。これまで書いてきたものを総括し共産主義イデオロギーの中で生きたいわゆる「赤いユートピアの住人」とはいったい何だったのか問いかけるもの。 

アレクシエーヴィチ文学の特徴

アレクシエーヴィチの作品はすべて、人々の証言から成るドキュメンタリー的手法の記録文学だ。ドキュメンタリー文学の方法は、アレクシエーヴィチが師とあおぐベラルーシの作家アレシ・アダモヴィチ(1927-1994)に学んだという。彼女は、兵士として戦争に参加した元従軍女性兵たち、戦争中に子供だった人たち、アフガン戦争に送られて亡くなった少年兵の遺族たち、チェルノブイリの被災者たち、新しい社会に適応できずに取り残される人々等、一貫して名もなき人々の生の証言を無数に集めて、それらの声に文学としての息を吹き込んだ。

第二次世界大戦、アフガン戦争、チェルノブイリ原発事故、ソ連崩壊といった大きな社会問題を扱いながら、けっして大檀上に構えることをせず、つねにふつうの人たちがどう生きたか、どう感じたかを大事にしながら「小さな人々」の気持ちに寄り添ってきた。全体主義国家の中にあってどこまでもヒューマニスティックで私的な感情を尊重しているところが大きな特徴と言えよう。

こうして書かれた彼女のオーラルヒストリーとしての作品には、少なくとも2つの意味がある。1つは人々の証言から「集合的記憶」を織り上げること、もう1つは英雄的な既成のイデオロギーを解体すること。とりわけ第二次大戦の英雄的な面ばかりを強調していたソヴィエト社会において、アレクシエーヴィチに心を開いた証言者たちの話は生々しく世俗的・身体的・私的で、綺麗ごとのプロパガンダを脱構築するほどのインパクトがあった。

チェルノブイリの祈り

五部作の4番目にあたる『チェルノブイリの祈り』は、副題が「未来の年代記」である。アレクシエーヴィチは、戦争をテーマにしてきた時とは違い、チェルノブイリ事故を「わが事」と感じていた。

「今度は私自身もみなと同じく目撃者です。私の暮らしは事故の一部なのです。私はここに住んでいる。チェルノブイリの大地、ほとんど世界に知られることのなかった小国ベラルーシに。ここはもう大地じゃない。チェルノブイリの実験室だといまいわれているこの国に。ベラルーシ人はチェルノブイリ人になった。チェルノブイリは私たちの住みかになり、私たち国民の運命になったのです」

この本の証言者たちが述べていることで特徴的なのは、次の3点だ。第1に、チェルノブイリ原発事故が「未曾有」のものであったということ。まったく予想もできない見たこともない「想定外」のものだということだ。第2に、未曾有であったがゆえとも言えるが、戦争で敵と戦うように原発事故と闘おうとしたこと。第3に、放射能という点で多くの人がヒロシマ・ナガサキを思い出したこと。

東日本大震災のメッセージ

2011年の東日本大震災直後、三浦みどりさんを通じて沼野恭子教授(本学大学院総合国際学研究院)はアレクシエーヴィチに日本へのメッセージを送ってもらった。タイトルは「チェルノブイリからフクシマへ」(2011年4月22日)。そして、ロシア語原文と日本語訳文の両方をブログ「沼野恭子研究室」で公開した。この中でアレクシエーヴィチは、原発事故が社会主義体制に起因するものではなく、どこでも起こり得るものであることをあらためて指摘している。

チェルノブイリ事故で人々はヒロシマ・ナガサキを思い、フクシマの事故で人々はチェルノブイリを思い出した。ヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリ・フクシマは不幸と哀しみで結びついた連鎖である。

ノーベル文学賞受賞

2015年10月にアレクシエーヴィチはノーベル文学賞を受賞した。いわゆるドキュメンタリー文学にノーベル賞が与えられるのは初めてであり、彼女の作品が「文学」の定義と地平を広げたことも大きな功績と言えよう。ノーベル賞委員会は、「アレクシエーヴィチの創作は、苦しみと勇気に捧げられた記念碑となった」とその授賞理由を述べている。

ノーベル賞受賞記念スピーチは、これまでの彼女の仕事の集大成のようだった。第二次大戦もソ連の人々にとっては大変な犠牲を払った大惨事には違いないが、それでも大義名分があった。アフガン戦争の頃から、人々は少しずつ空疎な大義名分やプロパガンダから解放されるようになり、チェルノブイリでは、プロパガンダも通用しない、まったく未知の、新しい次元の闘いを強いられることになった。

しかし、自由になったはずの人々はどうなったか。体制が崩壊し、新しい社会に適応できた少数の人を除いて、多くの人が人生の目的を失い、建前とはいえそれなりに機能していた平等の原則が崩れて貧困化した。五部作最後の『セカンドハンドの時代』はこうした人々の苦悩と絶望が綴られている。

東京外国語大学との関わり

・科研(B)「ロシア・ウクライナ・ベラルーシの文学と社会に関する跨橋的研究」2015~2017年度(代表:沼野恭子)において、ロシア・ウクライナ・ベラルーシと関係を持つアレクシエーヴィチは申請時から主たる研究対象であった。
・アレクシエーヴィチのノーベル文学賞受賞スピーチ「負け戦」沼野恭子訳、『世界』2016年3月号に掲載される。
・沼野ゼミではアレクシエーヴィチの著作を読み、外語祭ではゼミ展示も主体的にアレクシエーヴィチを取りあげた。